@金ヶ崎の退き口
信長は若狭の秩序を乱しているという理由で武藤友益成敗の陣触れした。だがその裏には信長の上洛要請に応じない朝倉義景の討伐という目的があった。若狭武田氏の旧臣を伴い、越前へ攻め込もうとした矢先、信長が予想しない出来事が起こった。

A朝倉義景自刃

小谷城の救援のために陣を張っていた朝倉義景は大嶽城の落城を知って退却をはじめた。刀根坂で壊滅的な敗北を被った義景は命からがら本拠一乗谷へ辿り着いた。しかし織田軍の追撃は容赦なく一乗谷に迫った。義景は最後の望みを従兄の景鏡に託した。

B富田長繁の反乱

朝倉義景が滅んで越前の仕置きを任された桂田長俊(前波吉継)だったが横暴な振る舞いが多く同じく朝倉家家臣の富田長繁の反乱に遭ってしまう。時を同じくして越前国内に侵入した加賀一向宗七里頼周の支援を受けた一揆が蜂起、長繁達は窮地に陥る。

C越前一向一揆
【百姓のもちたる国へ】

富田長繁を討ち取った一揆勢は本願寺の指揮のもと、越前国内の反対勢力を襲撃した。百姓は武士層の支配から逃れるために、本願寺は真宗王国建設のために・・・
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