姉川の戦い

-三田村・野村の戦い-
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経過
元亀元年(1570)6月24日小谷城の支城①横山城を攻めるため織田信長②竜ヶ鼻に本陣を移した。これを見た浅井長政横山城を攻める織田軍を一望できる③大依山に5千の兵と共に布陣した。この頃越前から朝倉景健軍1万が援軍に到着、そのまま大依山へ向かった。この日徳川家康軍5千も織田の援軍として到着している。
27日早朝浅井・朝倉軍大依山を降り始めた。信長浅井・朝倉が撤退すると思ったが念のために姉川の南にある④岡山家康を、本陣そばには美濃衆を配置した。 28日まだ夜も明けきらない午前4時ごろ姉川を挟んで家康の正面にあたる⑤三田村景健軍1万が、竜ヶ鼻信長本陣と美濃衆の正面⑥野村へは長政が移動した。
午前6時ごろまず⑦三田村で徳川軍と朝倉軍の戦闘が始まった。数に勝る朝倉軍は槍衾を作って姉川を渡り徳川軍に襲い掛かった。長政朝倉軍に負けじと猛将磯野員昌を先頭に⑧対岸の織田軍へ攻撃を仕掛けた。はじめ優位に戦いを進めていた浅井・朝倉軍だったが横山城包囲隊の一部が戦いに加わったことで劣勢にたった。
午後2時ごろ浅井・朝倉軍小谷城目指して敗走を始めた。織田・徳川軍小谷城下まで追撃したがそれ以上の深追いはしなかった。これにより救援の望みが絶たれた横山城は開城、木下秀吉小谷城と北国脇往還の監視役として入城した。信長は初めての大規模な野戦に勝利したものの⑨浅井・朝倉に思ったほどの決定打を与えられず、この後数年間両家に苦しめられる事になる。。
7月1日磯野員昌を追って佐和山城へ迫った信長は城を丹羽長秀市橋長利水野信元河尻秀隆⑩包囲させた浅井勢に対する処置を済ませると信長4日浅井・朝倉軍に勝利した事を足利義昭に報告するため数騎の馬廻衆だけを連れ京都へ向かった。京都では戦勝を祝う人々の訪問を受け時間を過ごし、8日岐阜へ戻った。
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