湖北蹂躙
経過
元亀3(1572)年信長は嫡男織田信忠の初陣に小谷城攻めを選んだ。7月19日岐阜を出発した信長・信忠父子は赤坂横山城を経て21日小谷城下へ到着した。前回と同じく雲雀山虎御前山を前線基地に佐久間信盛・柴田勝家・木下藤吉郎・丹羽長秀・蜂屋頼隆@清水谷から水の手まで攻め込み、城下に柴田勝家・稲葉一鉄・氏家直通・安藤守就らが陣を張った。翌日秀吉阿閉貞征A山本山城下へ放火、それを阻止しようとした城兵と戦いになったが退けた。織田軍23日北進してB地蔵坊24日夜にはC大吉寺を焼討して僧侶、建造物は灰燼に帰した。さらに琵琶湖湖上ではD打下城林与次左衛門明智光秀・猪飼野甚介・山岡景猶・馬場孫次郎・居初又二郎らとE海津浦・塩津浦・余呉の入海・竹生島を攻撃した。
27日からF虎御前山砦の建築が始まった。織田軍に好き放題に自領を荒らし回られても手出しができなかった浅井長政は威信低下を恐れて朝倉義景信長を倒せるチャンス到来と偽情報を流してついに義景を動かした。29日小谷城へやってきた義景は愕然とした。織田軍は悠々と小谷城前にを築き、城下には織田軍の兵が溢れていた。義景は率いた1万5千の兵とG大嶽城に篭ってしまった。
間もなく虎御前山砦は完成した。
信長この砦横山城の連絡を確保するためにH八相山にも砦を築き宮部城を改修させ、9月16日秀吉虎御前山砦の守将に任じ信忠横山城へ戻った。
 大嶽城落城へ 義景自刃へ 小谷城落城へ
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