経過 |
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天正3年(1575)5月21日の設楽原での戦いに武田勝頼に勝利した織田信長は勝頼が再出馬できないうちに東美濃の武田勢を駆逐するため、25日嫡男織田信忠を岩村城へ派遣した。
森長可・池田恒興・河尻秀隆・毛利長秀(秀頼)・塚本小大膳安頼・肥田玄蕃・浅野左近の美濃衆ほぼ全軍3万が6月13日には岩村城を包囲した①。 11月10日になり水晶山②にある織田方の砦が武田軍の夜襲を受けたが撃退、これが岩村城落城のきっかけとなった。 岩村城主秋山虎繁は降参したが信忠は許さず、叔母である虎繁夫人お艶を含む岩村城に居た人間をことごとく成敗した③。 これにより武田勢が駆逐された東美濃はようやく信長の手に戻った。 |
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