| 経過 |
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| 東美濃の恵那は弘治元年(1555)以来武田信玄に従っていた。ところが元亀3年(1572)5月に苗木城主@苗木直廉、8月岩村城A遠山景任が急死してしまい、それに乗じた織田信長が両城を実質手に入れることに成功した。そしてこの年の10月3日、武田信玄が足利義昭や本願寺顕如、朝倉義景、浅井長政らに呼応して徳川家康・信長領へ出陣した。信玄は遠江を目指し別働隊として秋山虎繁(信友)が伊那から岩村城へ向かった。この時信長は四面楚歌の状態にあり岩村城へ援軍を派遣できず11月14日に岩村城は秋山軍に占拠されることになった。この軍事行動で岩村城大手門に位置した大円寺Bが焼かれ希菴禅師が殺害された。 |