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@大樹寺―岡崎市鴨田町広元【MAP】
大樹寺の縁起では桶狭間から逃げ帰ってきた元康は前途を悲観して切腹しようとした。しかし住職の登誉上人は「厭離穢土、欣求浄土」(苦悩の多い穢れたこの世を厭い離れたい と願い心から欣んで平和な極楽浄土を希うこと)と諭し、切腹を思いとどまらせたとある。元康にとって岡崎復帰は複雑な問題だった。駿府で人質となっている元康と家臣の妻子の処遇や国主が急死した今川家との関係をどうするかであった。
大樹寺は安祥城松平四代親忠が勢誉愚底上人を開山に文明7(1475)年に創建した浄土宗の寺院で以降松平家の菩提寺となる。岡崎城は
本堂A山門@の延長線上に位置している。家康の祖父清康の代に天分4(1535)年に多宝塔Bを含む伽藍が造営。また後奈良天皇の勅願所であり家康の死後、将軍家の位牌所となる。松平・徳川の8代の廟所Cがある。
【探索のヒント】観光施設のひとつなので駐車場があります。
【駐車場】専用駐車場 【最寄りのバス停】名鉄バス各バス停より大樹寺行き「大樹寺」
 
A梅ヶ坪城ー豊田市梅坪町【MAP】
梅ヶ坪城は天文3年三宅義次が築城、当時の城主は三宅師貞だった。この戦いで織田方の平井久右衛門の巧みな矢の討ち方は敵からも賞賛され、立派な弓矢を贈られた。信長も豹革製の矢入れや葦毛の馬を与えた。なお、梅坪城は所在地すら不明。とりあえず梅坪神社の写真を撮りました。
【探索のヒント】仕方なしに梅坪神社の写真を撮りましたが梅坪町2丁目という記事を見たので改めて行きます。
【駐車場】平芝公園駐車場利用 【最寄りの駅】名鉄三河線「梅坪駅」
 
B伊保城―豊田市保見町
この付近には伊保城・伊保西古城・伊保東古城があるが信長が攻めたのは西古城。三宅氏の城。その後織田氏の領地となる。佐久間信盛が在城したとの記録あり。
 
C八草城―豊田市八草町
標高130mの山城。推定地はわかっているが遺構は残っていない。三宅氏の城。城主は那須惣佐衛門、中条弥七郎、阿部孫四郎、中条将監、小栗左京。織田軍は二日間野営して三城を攻めた。
 
D挙母城―豊田市金谷町(勝手神社)【MAP
挙母城は金谷城・桜城・七州城の別名。全く別の場所にある。信長が攻めたのは金谷城。城下は高橋の庄といわれ地頭の中条氏が支配していた。ここを猛攻撃して落城に追い込んだ。この地を領有した信長は高橋衆として自軍の軍団にくみこんだ。
【探索のヒント】ここを探すのに利用したホームページには車ではいかないほうがいいとありました。確かに細い道に一方通行がありましたが平日に行ったおかげで神社の前に車を置くことができました。長時間だと近所の人に迷惑をかけるでしょうからそのような方は電車でどうぞ。
【駐車場】なし 【最寄りの駅】名鉄三河線「上挙母駅」
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