| 経過 |
![]() |
| 元亀元(1570)年9月野田福島の三好三人衆攻めのため来坂した織田信長を包囲するように大坂本願寺、浅井・朝倉、篠原長房、六角義賢が兵を挙げた。このため大坂から引き上げ京に釘付けになった信長に追い討ちを掛けるべく顕如は各地の門徒宗に蜂起を命じた。それに応え信長の本国尾張に近い伊勢長島の願証寺@を中心とした一向宗徒が11月信長の弟織田信興が守る小木江城Aを包囲した。桑名城の滝川一益が救援に向かったが敗退し11月21日信興は自殺に追い込まれた。奇しくも前日の篠原長房に続いて六角義賢と和議が成立、信長が一息つけた日であった。 元亀2年5月12日一向一揆を掃討するため信長は津島口B、佐久間信盛が中筋口C、柴田勝家らは太田口Dから長島へ進軍した。一揆勢は願証寺をはじめ木曽川・長良川・揖斐川の輪中内にある砦に立て篭もり、紀州などの海賊衆がそれを支援した。海上封鎖が出来ず攻める術がない織田軍はただ砦を包囲するだけだった。このまま何の進展も無いのを嫌った信長は16日全軍に撤退を命じた。これを一揆軍が追撃し太田口で戦闘となった。織田軍は柴田勝家が負傷、氏家ト全が戦死Eしてしまうという大惨敗を喫してしまった。 |