伊勢平定戦

-神戸氏攻め-
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経過
永禄10年(1567)2月8月伊勢攻めにより、所謂北勢四十八家の多くが織田信長の旗下となった。この後、斎藤竜興を追放して美濃を手に入れた信長の次の目標は、その前年にできなかった足利義昭を将軍に就けるための上洛であった。問題は上洛途中にいる南近江守護六角義賢の妨害と、伊勢に残る六角氏と通じている関一族国人衆であった。
永禄11年2月信長は上洛の足固めのため、三度目の伊勢攻めを行った。伊勢国人衆を味方にした4万の織田軍は、千種城①采女城②楠城③を次々陥落させ、以前落とせなかった高岡城④を包囲した。前回とは比較にならない軍勢の前に、さすがの城主山路弾正もこれ以上の抵抗は困難と考えた。そこへ信長から神戸友盛に三男三七郎(後の織田信孝)を養子に出すことで和議を結びたいとの申し出があった。山路弾正神戸城⑤へ向かい、この提案を友盛に伝えた。友盛はこれを受け入れ、他の関一族信長に与する事を説得した。その結果、国府城⑥峯城⑦鹿伏兎城⑧は、信長に付くことになったが、亀山城⑨関盛信平田城⑩平田賢元は、信長に敵対する姿勢を貫いた。
 
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