| 経過 |
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| 元亀3(1572)年12月22日三方が原で徳川家康軍を破った武田信玄は翌日23日首実検を終え、刑部城へ入った。正月をここで過ごした信玄はいよいよ三河へ侵入を開始した。黒松峠・陣座峠・宇利峠・本坂峠のいずれかを通った武田軍は奥三河の徳川方の@野田城を包囲した。さほど大きな城ではなかったが攻城戦は一月に及んだ。野田城落城直後信玄はA体調を崩し、B鳳来寺に本陣を移し体調の回復を待った。 しかし信玄の体調は悪化するばかりで回復が見込めないため一旦甲府へ戻ることになった。長篠城に守備兵を入れ武田軍は元亀4年3月9日鳳来寺を出発した。伊那街道・三州街道の田口・C根羽・浪合を通り、D駒場に到着したとき信玄の容態が悪化、4月12日死亡した。その遺骸は信玄の遺言に従いE諏訪湖に沈められた。 |
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