三方が原の戦い<静岡県編>
―三方ヶ原編―
経過
久野城を包囲したもののなかなか落ちないため武田信玄は一部の兵を残して西に進んだ。天竜川に出るとそれに沿って北に向かい、@匂坂城を落して穴山梅雪を入れた。信玄は更に北上、A合代島に本陣を置いた。
10月19日柿本城から山県昌景B二俣城攻略に加わり、只来城を落した部隊も加わった。信玄武田勝頼二俣城攻略の指揮を執らせた。しかし天然の要害に築かれた二俣城は容易に落ちず2ヶ月近く城攻めに費やしてしまった。そこで山県昌景馬場信房が城の水の手である天竜川に突き出したC井楼を破壊することを提案、筏を上流から流し破壊に成功して城兵は降伏した。
二俣城
依田信守信蕃父子を入れて天竜川を越えた武田軍は12月22日秋葉街道を南下して浜松城に迫った。しかし浜松城から5キロほど離れた地点で武田軍は西に向かいD大菩薩山に進んだ。この辺りから広がる台地が三方が原台地である。ここで小休止すると軍は更に西へ進み、E追分で本坂道を北に向かった。浜松城に向かってくるものと思っていた家康は完全に無視された形になった。血気にはやった家康F祝田で武田軍が三方が原台地を下ったとき背後を突こうとした。しかし全ては家康を野戦におびき出す信玄の作戦だった。G根洗で反転した武田軍は迫ってきたH徳川軍を一気にたたいた家康I多くの家臣を失い、命からがら浜松城へ戻ってきた。
武田軍は浜松城から北へ約1キロ離れた
J犀ヶ崖付近に野営した。この武田軍に浜松城から深夜夜襲がかけられた。
12月23日首実検を終えた信玄浜松城を後に再び祝田に向かいそこで西にあるK刑部城に入って年を越した。
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