三方が原の戦い
<山梨県編>
経過
元亀3年(1572)10月3日武田信玄は上洛するため武田の主力部隊2万5千で@躑躅ヶ崎館を出発した。この中には再び同盟した北条軍も含まれていた。またこれに先立つ9月29日信玄に味方するA山家三方衆(田峯菅沼氏・長篠菅沼氏・作手奥平氏)を先鋒として出発させている。
将軍
足利義昭信玄と姻戚関係にある本願寺顕如織田信長の不誠実さに怒った浅井長政、成り上がりの信長に我慢ならない朝倉義景、畿内から追い落とされた三好三人衆と連携して信長を包囲、撃滅するのが目的だった。信玄が出発したこの日は今なら11月である。明かに越後の上杉謙信が豪雪で動けないことを考慮しての軍事行動だった。武田軍甲州街道を東に進み、杖突峠を越えて高遠城へ向かった。
青崩峠へ向かう 一言坂へ向かう 三方が原へ向かう 信玄死すへ行く
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