@A
B
C
D
E
@躑躅ヶ崎館―甲府市古府中【MAP】
正室三条夫人の妹が嫁いでいる本願寺顕如率いる大坂本願寺が元亀元年信長と戦闘応対に入った。これに呼応するように姉川で敗北した朝倉・浅井が再び蜂起。信長は身動きの取れない状態になった。元亀2年3月徳川・上杉の同盟に反発した信玄が徳川領に攻め込んだ。事実上ここに織田武田の同盟は崩壊した。その年の10月北条氏康が死亡。その遺言で一度は破綻した武田・北条同盟が復活、信玄にとって背後を脅かす敵はなくなった。またたった半年後に信玄が病死しているので体調が思わしくないのは本人もわかっていたはずだから信玄が動けるのはこの時しか無かった。そして今回の軍事行動の目的は元亀3年10月朝倉・浅井氏に出陣の書状を出していること、朝倉が無断で兵を越前へ引いたことを信玄が非難していることから信長との決戦が主目的だと思う。
【探索のヒント】ご存知の通り現武田神社@が館本丸跡です。2006年10月に初めて行きました。表向き神社の城郭という印象を受けました。大手門Aは本殿東側にあり現在さらにその東側が発掘調査中Bで新府城でしか確認されなかった三日月堀がここでも見つかりました。本殿の西は土橋で西曲輪とつながりCその北に北曲輪がやはり土橋Dでつながっています。躑躅ヶ崎館は一辺200メートルの正方形をした本丸を中心にいくつかの曲輪が付属した平城です。ここから南に向かって城下町Eが形成されていました。大阪からの夜行バスで早朝甲府へ着きました。武田神社行きのバスがすぐに無かったので歩きました。途中バスが来たので2区間だけ乗りましたが40分もあれば徒歩でいけます。神社周辺には信玄ゆかりの史跡も多いのでじっくり回ってみたいです。
【駐車場】無料専用駐車場
【最寄の駅】JR中央本線「甲府駅」 【最寄のバス停】山梨交通「武田神社」
 
A田峯城
 
@A
A長篠城―愛知県鳳来町長篠字市場【MAP】
田峯菅沼定成の弟菅沼満成が長篠菅沼の始まりである。その子元成が従っていた今川氏親の要請で長篠城を築いた。その三代あと貞景のとき今川義元が桶狭間で戦死したため今川から離反、家康に付いた。貞景は家康の掛川城攻めに従軍して戦死している。元亀2年、信玄が奥三河に進攻して来たときはその子正貞が城主だった。のち武田典厩信豊に裏切りの嫌疑をかけられ小諸で監禁され没している。その子正勝は武田滅亡後家康に許され紀伊徳川家の家臣となった。
【探索のヒント】長篠城といえば長篠の戦ということでそれに関する史跡が主です。
【駐車場】無料専用駐車場
【最寄の駅】JR飯田線「長篠駅」 【最寄のバス停】豊鉄バス「長篠城跡」
 
A作手亀山城
 
SEO [PR]  ローン比較 再就職支援 バレンタイン 無料レンタルサーバー SEO