美濃攻め
―中美濃編―
経過
永禄6年(1563)春織田信長稲葉山に近い新加納へ侵攻したが斎藤勢に撃退された。この後美濃への動きはなくなり尾張統一に専念する。この年小牧山に居城を移して翌永禄7年犬山城を落とし尾張を統一すると全力で美濃攻略に乗り出した。永禄8年東美濃の有力国人で@加治田城佐藤紀伊守忠能丹羽長秀を通じて信長に従うことを申し出た。これに勢いを得た信長この年の夏A鵜沼城に近いB伊木山に砦を築かせ鵜沼城に圧力をかけ落城に追い込み、さらにその東のC猿啄城も水の手を切って落城させた。木曽川の要所押さえ加治田城を味方につけた信長D堂洞城の攻略にかかった。8月28日信長E高畑山へ陣取ってF関城からの援軍に備え、佐藤忠能丹羽長秀らは堂洞城に攻撃を加え夕刻には落城させた。29日関城から攻めてきた長井隼人G衣丸で撃退し逆に関城を攻略した。その後森可成H兼山城生駒道寿I土田城に配しJ米田城肥田玄蕃允には本領を安堵した。
十四条・軽海の戦い 稲葉山城落城
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