美濃攻め<稲葉山城落城>
経過
永禄8年(1555)小牧山城へ移った織田信長は一気に稲葉山城へ迫ろうとしたのか@新加納へ進出、しかし美濃勢によってたちまち駆逐された。さらに永禄9年(1566)閏8月8日にはA河野島まで進んだがこのときも斎藤竜興軍に敗れている。しかし東美濃を制圧した翌年永禄10年8月A西美濃三人衆稲葉良通氏家直元安藤守就信長に寝返った。これを受けて信長は早速美濃に攻め入りB瑞龍寺山C達目洞から城へ攻めあがった。さらに稲葉山城下井口を焼きうともはやこれまでと諦めた竜興稲葉山城を捨て長良川を舟でくだり、長島に向った。ここに父織田信秀の念願であった美濃攻略がなった。その後信長井口D「岐阜」と改め、城下を整備して天下盗りを目指した。
東美濃攻略 十四条・軽海の戦い
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