本圀寺襲撃
経過
永禄11年12月28日三好三人衆(三好政康・三好長逸・石成友通)は密かに和泉に上陸、織田方の@家原城を落城させてに陣を張った。
明けて
永禄12年1月2日を出た三好勢織田信長岐阜に帰国している隙を突いてA南山城から京にある将軍方のB砦に放火して4日足利義昭の居るC本圀寺を包囲した。
この知らせを聞いて池田城から
池田勝正荒木村重伊丹城から伊丹親興若江城から三好義継義昭救援に向かった。救援軍と三人衆はD桂川で戦闘となったが状況が不利と悟った三好政康は一旦兵を尼崎まで引いて再度京へ攻め込んできた。今度はE東寺付近での戦いとなった。
6日F岐阜城信長のもとに事件が知らされた。信長は取る物も取りあえず岐阜城を出発して通常3日かかる行程を2日で本圀寺に到着した。
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