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@鳥取城―鳥取市東町2【MAP】
市川経好の城番に対し中村春継・森下道与は吉川元春に毛利氏に縁のある人物と交代することを求めた。これを受けた元春は天正9年1月吉川経家へ鳥取城へ向うよう依頼した。14日の吉川元春・元長連名の書状には経家に因幡6百石を与えるので頑張って欲しいと記されている。2月26日経家は嫡男亀寿丸に家督を譲ると福光城を出発、月山富田城を経て海路賀露湊へ向った。賀露湊では安芸からの先遣隊に出迎えられ、まず徳吉城で身支度を整えてた。3月18日今度は因幡衆が城下まで出迎え鳥取城へ入った。入城2日後に福光城に宛てた手紙には要所に兵を配備して兵站線を確保、籠城に備えることにした。ついては兵糧の手配を頼むと書かれている。さらに経家が直面した問題が因幡衆の戦意が加勢に来た安芸衆よりかなり落ちていることであった。山名豊国は鳥取城が毛利氏に接収された時点で城主ではなくなったが城内に留まっていたようである。そのため豊国に心を寄せる国人たちは経家が実質城主であることに反発していたのかもしれない。豊国が鳥取城を出たのは中村春継らに追放されたためといわれるが経家入城後も城内にいた豊国は秀吉に密書を送りつづけた。4月13日その密書を携えた密使が毛利方に捕まり斬られた。この一件で豊国自ら秀吉を頼って城を脱出したとの説もある。
【探索のヒント】山上の丸へは鳥取城二の丸にあるお稲荷さんから上がってい行きます。「所要時間25分」と表示がありますがなかなかきつい登りです。「一合目」「二合目」という案内板を心の支えに手すりを頼りに上ります。「五合目」に稲荷社がありここで小休止出来ます。「八合目」に「遠見の番所」@、本丸手前に説明板Aがあります。この奥の道は雁金山へ続きます。本丸へ上がる右に「二の丸」「三の丸」Bがあります。天守台Dから兵糧を運ぶルートを一望でき本丸の東側には太閤ヶ平も臨むEことができます。
【駐車場】市営駐車場 【最寄のバス停】ループ麒麟獅子砂丘コース「鳥取城跡」
 
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BC
B丸山―鳥取市丸山町【MAP】
千代川の支流袋川が丸山の麓を通るので経家は海上から兵糧を運び入れる拠点にした。そうした事情から城番は但馬の海賊奈(桑)佐日本助と山県左京進が兵2百で守った。日本助は山中鹿助とともに尼子氏を支援してきたが結局毛利氏に屈することになった。鳥取城と雁金山砦が分断されると雁金山を守っていいた塩谷高清はここへ逃げてきたが秀吉軍に捕まり、両名とも切腹させられた。
【探索のヒント】2006.6に鳥取へ来て山頂近くまで丸山が崩れている@のに驚きました。
【駐車場】なし【最寄のバス停】
 
C雁金山
【探索のヒント】
 
 

蜂須賀小六の陣【MAP】

黒田(小寺)官兵衛の陣【MAP】

加藤光泰の陣【MAP】

小阿弥の陣【MAP】

神子田半左衛門の陣【MAP】

木村隼人の陣【MAP】

中村一氏の陣【MAP】



荒木平太夫の陣
【MAP】


木下助兵衛の陣【MAP】

山名豊国の陣【MAP】
   
   
D鳥取城西の陣地
鳥取城から雁金山を封鎖するため10部隊が展開、袋川の底に縄網を張り巡らせ川沿いに逆茂木や乱杭を打ち込み城外への脱出ができないようにした。さらに各陣所には櫓をあげ一晩中篝火を焚き、鐘、鼓、法螺を鳴らし、大手門に鉄砲を始終撃ち込んで篭城する者達を精神的に追い詰めていった。ここに陣を張る部隊は千代川方面に石垣を積み西からの毛利軍合に備えた。陣地内は益田仁右衛門が奉行となり選ばれた商人が集まって市がたち賑わっていた。城内から撃って出るにも鉄砲が射掛けられてはどうしようもない城兵は何とか秀吉軍に一泡吹かせようと秋里新兵衛・徳丸・美濃置垣・丸山ら百人ほどで小寺・木村の陣に夜討ちを掛けた。しかし事前に官兵衛が夜襲に備えるように触れを出していたので厳重な警戒網に引っかかりほとんどが討ち取られてしまった。
【探索のヒント】碑があるわけではありません。幸田屋さんのホームページ「鳥取の城」を参考に同じ場所から写真を撮りました。私は自転車で回りましたが全ての陣が近くにあり効率よく回れます。鳥取城のある久松山が建物に邪魔されることなくどこからでも見ることができるので少なからず包囲軍の気分が味わえました。車では行きにくいところもあるので歩くなり、自転車なりを使うことをお勧めします。
【最寄の駅】JR山陰本線「鳥取」
 

杉原七郎左衛門【地図】

浅野長吉

吉川平助
 
E丸山包囲陣
7月5日吹上浜に上陸した秀長・藤堂高虎隊は7日には兵糧の補給ルートの入口である丸山の包囲を完了している。賀露の港、その付近の山に監視の兵を配備、千代川には船を並べて毛利からの兵糧搬入を阻止した。ここを守った杉原七郎左衛門配下の富田庄右衛門は城攻めの初期段階の乱戦で味方を救おうといの一番に敵陣に切り込んだ。一度は敵を押し返したが後続が無くたちまち討ち取られている。そのあと神崎某と言う者が木戸から討ち入ったが深手を負って助け出されている。
【探索のヒント】
 
 
 
F鳥取城東の陣
【探索のヒント】
 
 
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G太閤ヶ平―鳥取市栗谷町【MAP】
今回秀吉は戸倉峠を越え若桜から私市
小西谷を通り山陰を利用して密かに鳥取城を一望できる@帝釈山に陣を張った。鳥取城では不意を突かれ騒然となった。秀吉は山頂に本陣を構えるため五十間四方を切り開き、土塁・空堀・櫓Aを設けた。各部隊には毛利の援軍に備えた強固な陣構えにするように命じている。そんな中蜂須賀小六と加藤清正が鳥取城の大手口の偵察に行った時敵の伏兵と遭遇、これを撃退している。また力攻めでは落ちないとわかっていた秀吉が総攻撃を命じている。この戦いでは双方に多くの死傷者を出している。二つ山城主篠部周防は先陣きって城へ攻めかかったが射殺された。首を半分切られながら落ちそうになる頭を片手で支えて敵を討ち取った者もいた。城の中まで敵を追って一人を討ち取り、秀吉からもらった褒美の分配を巡って三人の武者が決闘になった出来事もあった。
【探索のヒント】太閤ヶ平(たいこうがなる)へ行く一般的なルートは鳥取市歴史博物館「やまびこ館」の前を通って「樗谷神社」山門の右横の舗装された山道です。3.5キロほどの道のりを行くのですが平日にもかかわらず多くの人たちに出会いました。私のようにリュックを背負っている人はいなく運動がてら登っている人ばかりでした。このあと鳥取城の山上本丸へ行ったのですが山頂で休憩していると数人の中高年の男性が次々上がってきました。そのうちの一人は「ここの山だけは何度登っても慣れない」と話してくれました。運動がてらに太閤ヶ平や松久山を日常的に登る鳥取の人たちには驚かされましたが20年程前現在体育教師をしている友人と鳥取砂丘へ行った時「鳥取の運動部の高校生は砂丘を走っているから下半身が強い」と話していたことを思い出しました。老若男女問わず鳥取の人は健脚揃いなのでしょうか。
それはさておきNHKの中継局を含めた場所が本陣跡です。草ぼうぼうですが
空堀B・土塁・虎口Cは確認できます。アンテナの付近が馬場Dですがシダが生い茂っていて入っていく気になりませんでした。小口の土塁上を歩いていくと碑Eがありました。太閤ヶ平へ来る途中に尾根伝いに松久山へ行くルートがあります。
【駐車場】やまびこ館専用駐車場他
【最寄のバス停】鳥取市循環100円バス赤コース「やまびこ館」
 
F防己尾城
【探索のヒント】
 
 
G泊城
【探索のヒント】
 
 
H茶臼山
【探索のヒント】
 
 
I馬ノ山砦
【探索のヒント】
 
 
@A
J鳥取城落城
城兵以外に近隣の村々から逃げてきた人々を収容したため鳥取城の兵糧は忽ち不足しだした。経家が5月19日に石見福光城の重富新五郎に宛てた手紙にはこの時点ですでに兵糧の備蓄はほとんど無く、早急に何とかして欲しいと訴えている。しかしその願いは秀吉の出兵で不可能になった。城内の者は飢えを凌ぐため草の根や木の葉を食していたがこれが尽きると牛馬を殺して食した。これが無くなると餓死した人を食らうようになった。中には餓死した我が子供を尻の下に隠しこっそり食べていた者もいた。城外へ逃げようとした者は柵外から秀吉軍の鉄砲の餌食となった。そんな中、経家に命じられて毛利へ救援要請に向った赤池助左衛門は米俵に身を隠し川を下って脱出に成功している。しかし9月の海戦で敗れた毛利方は制海権を失っており、もはや救援物資を送ることはできなくなっていた。さらに雁金山と分断されたため餓死者は増える一方、経家もついに開城を決意し福光小三郎を使者に立て秀吉方の浅野弥兵衛にその旨を伝えた。これを受け秀吉は堀尾吉晴・一柳直末を城内へ遣わした。経家は全ての責任を自分が負うので城内の者を全て助命して欲しいと言ったが、秀吉は乞われて来た経家に責任は無く豊国を追放した中村春継・森下道与こそ逆臣であり許す事はできないと伝えた。石見福光城を出た時点で死を覚悟していた経家には生き残るという選択肢はなかった。この決意に秀吉も折れ、経家、中村、森下、奈左日本助、塩谷高清、そして経家と共に来た福光小三郎と坂田孫次郎の切腹が決まった。10月23日城内では秀吉からの差し入れで別れの酒宴が催された。24日は中村・森下が切腹した。
25日経家の番である。福光城に残した子供達、家臣、元春に手紙を残し行水の後、好みの青黄の袷を着て切腹に臨んだ。最後に「日本における二つの弓矢の境(はざかい)で倅腹(切腹)に及ぶのは末代の名誉である」「嫡男亀寿丸(経実)に長光刀を遣わして欲しい」と書状を残している。これ以外にも経家が残した家族宛ての手紙には父としての優しさが滲み出ている。享年35歳。
【探索のヒント】経家の墓所@Aは久松山の北側にあります。円護寺トンネルを北へ抜けた初めの交差点を右折します。道が大きくカーブしている左手に吉川公園がありそこが墓所です。車は道を挟んで反対側にあります。
【駐車場】吉川公園専用駐車場 【最寄のバス停】日本交通北園団地線「吉川公園前」
 
K御冠山
【探索のヒント】
 
 
K羽衣石城
【探索のヒント】
 

 

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