@A
@深田城―大治町西条字城前
織田右衛門尉が城主とされるがこの人物が織田達順か織田信次かどうかは不明。清洲方ははじめ深田城に攻撃を仕掛けた。
【探索のヒント】県道68号名古屋津島線の「西條交差点」で東へ向かうバス通りへ入ります。「西條」バス停と次の信号の間に北へ向かう道があります。この道を入ってすぐ右手の箱根社@付近が城跡と推定されています。細い道ですが県道124号清洲西條線で清洲へ向かいます。蟹江から始まる信長街道A(蟹江町)の一部ではないかと思います。
●箱根社【MAP】:【駐車場】なし 【最寄のバス停】名鉄バス「西條」
●信長街道
【MAP】:【駐車場】蟹江町歴史民族資料館【最寄の駅】JR関西線「蟹江」
 
A松葉城―大治町西条【MAP】
織田伊賀守が城主。深田城が清洲勢の手に落ちると伊賀守は人質として捕らえられた。
【探索のヒント】箱根社の前の道をさらに北へ進むと左手に大治保育園があります。その前に「松葉山」の碑が建っています。この先に神社がありこの一帯が城跡とされています。道が狭く車での訪問は無理です。近くに駐車する場所もなかったので大治町役場の駐車場を利用しました。
【駐車場】なし 【最寄のバス停】名鉄バス「西條」
 
@A
B稲葉地城―中村区城屋敷町
信長の伯父津田豊後守の城で現在の神明社境内がその跡地。このときは玄藩が城主。四代小藤次が本能寺の変で戦死して廃城となった。この城は庄内川の東岸に位置して西は大治から佐屋を経て、桑名へ通ずる東海道、北は清洲、稲沢、大垣へ抜ける鎌倉街道の要衝だった。津田氏の菩提寺は凌雲寺で幼い頃信長はここで書道の練習をしたという。この津田氏の末裔が三重県菰野の見性寺の住職になっているがそれよりも前の住職も稲葉地の出身者である。
【探索のヒント】県道68号の「稲葉地本通り3」を北へ向かうと神明社@の前にやってきます。神社の裏手は堤防なのでその辺でも車は停めることができます。凌雲寺Aは神明社より南へ約百メートルの所にあります。
●神明社【MAP】
 【駐車場】なし 【最寄のバス停】名古屋市バス・名鉄バス「稲葉地町」
●凌雲寺
【MAP】
 
C萱津古戦場―海部軍甚目寺町【MAP】
信光軍が清須勢の横合いから攻撃すると清須勢は城へ退却しだした。追い討ちをかける織田軍は柴田勝家と中条小一郎が坂井大膳の弟甚助を討取り,ほか河尻左馬亮・織田三位など清須勢の有力家臣五十名も討取られた。清須勢の劣勢に松葉城・深田城からも兵が出て4時間を越える乱戦となった。しかし信長・信光軍はこれを押し返し、逆に六十騎を討取った。勢いに乗った信長・信光軍は一気に松葉・深田城を奪回した。
【探索のヒント】県道79号甚目寺佐織線の「下萱津」交差点から斜めに北上する県道200号甚目寺名古屋線に入ります。そのまま直進「甚目寺字八尻」交差点の次にある「萬有家具」の交差点を右折します。左手に防火施設が見えるのでその横に碑があります。
【駐車場】なし 【最寄の駅】名鉄津島線「甚目寺」
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