信勝謀反
経過
織田信秀の葬儀での織田信長の奇行に眉をひそめた織田家重臣林秀貞柴田勝家信長の弟織田信勝(信行)を当主に就けようとしているという噂が織田家中に駆け巡っていた弘治2年(1556)5月26日、信長が突然@林秀貞邸を訪れた。この時秀貞信長に危害を加えることはしなかったが、秀貞が反信長を表明するとA比良城B荒子城C米野城D大脇城がそれに従った。
この年信勝E竜泉寺城を改築、さらに岩倉城織田信安と手を結んで信長の直轄領F篠木を横領、砦を築いた。これに対し信長佐久間盛重に庄内川近くのG名塚に砦を築かせた。8月23日勝家林美作守通具(秀貞の弟)が雨に乗じて砦を攻めはじめた。この知らせを受けた信長24日清須城を出て柴田・林軍H稲生が原で合戦となった。この戦いに敗れ赦免された信勝だったが打倒信長を諦めなかったため翌弘治3年11月3日清須城信長によりI暗殺された