信長と道三
経過
織田信秀@尾張国内以外にも駿河今川義元今川氏に属した三河松平広忠美濃斎藤道三などの強敵を相手にしなけらばならず、身動きが取れない状態だった。
天文13年(1544)9月天文16年9月美濃に攻め込んだがいずれも道三に撃退された。また、三河を攻めても小豆坂で敗北し、ようやく二国を相手に戦うことの不利がわかり、天文17年秋道三と和睦し、同盟を結ぶことにした。その証として天文18年2月24日道三の娘帰蝶(濃姫)織田信長A嫁いできた。しかし天文20年3月3日末盛城にいた信秀が急死してしまった。葬儀は信秀の菩提寺B万松院で行われたがその席で家督を継いだ信長の傍若無人ぶりに家臣たちは織田家の将来を危ぶんだ。しかし信秀の死後も信長の「うつけ」ぶりは変わら無かった。天文22年閏正月13日信長の傅役平手政秀C自刃した同年小豆坂信秀に協力した山口氏が背き、家中の混乱に乗じて清須織田氏信長の城に攻撃を仕掛けてきた。
このように不安定な尾張国内の様子を自分の目で確かめるためか天文23年4月下旬道三から信長に面会を求めてきた。二人は尾張美濃の国境近くのD正徳寺で会見することになった。