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| @勝幡城―海東郡平和町大字六輪字城之内【MAP】 勝幡城は織田弾正忠信秀の居城でその祖父信良(西厳)、父信定が代々城主であった。 勝幡城は津島から清須へつながる街道(津島街道・清須街道)の途中にあり伊勢湾に注ぐ川もそばにあり水運も発達、大いに発展した。弾正忠家の居城であり織田・信定・信秀が城主であると信長公記に記されている。ただし信定が築城したとも言われている。1533(天文2)年7月8日から27日にかけて山科言継が滞在したがその間に宴や鞠を楽しみ新築された信秀の館や平手政秀の屋敷を案内されその立派さに驚いている。 |
| 【探索のヒント】私は行き方がわからず「佐織町役場」横の道を北上、最初の信号を右折し川を渡っていきました。駐車場はないので路上駐車になります。 |
| 【駐車場】路駐 【最寄りの駅】名鉄津島線「勝幡駅」 |
| A清須(洲)城―西春日井郡清州町大字清須字古城【MAP】 清須は12世紀後半には集落が形成されていた。織田大和守敏定が守護代に任命され清須城を尾張下四郡(愛智・知多・海東・海西)統治の中心にし城下町が形成された。和議が成立した後も岩倉織田伊勢守敏広と度々戦うが城を死守した。1495年6月六角氏討伐に出陣中敏定が陣中で没し後を継いだ息子の寛定も9月に討死した。 |
| 【探索のヒント】観光地ですから駐車場に不安はありません。「清洲」駅からだとちょっとあります。 |
| 【駐車場】専用駐車場 【最寄りの駅】名鉄名古屋本線「新清洲駅」 |
| B織田剣神社 |
| C下津城―稲沢市 守護所だった下津城の守護代織田敏広が尾張織田の本流といわれている。1475年11月斯波家本家(武衛)をめぐり義兼と義敏が対立、義兼が敗れ敏広を頼って尾張に来た。翌年幕府は敏広の親戚に当たる敏定に下津城を攻めさせた。戦いに敗れた敏広は岩倉城に入った。この結果敏定は尾張守護代に任じられた。1478年12月4日敏広は義父である美濃国守護代斎藤妙椿の協力を得て清洲城を攻めた。しかし落とすことはできなかった。 |
| B岩倉城―岩倉市下本町城跡 東は五条川、西は湿地帯に挟まれた土地に築城されている。下津城を追われた伊勢守敏広は義父の斎藤妙椿の美濃に近いここへ移る。1479年1月19日清須大和守敏定と和議が成立、敏広は尾張上四郡(中島・葉栗・丹羽・春日井)を統治することになった。しかしその後も敏定と争うが勝つことはできず1481年死亡した。敏広の死を契機に斯波義兼は越前朝倉を頼って尾張を後にした。その後寛広が伊勢守を継ぐが7月斯波義良に帰順する。 |
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| C津島神社―津島市明神町【MAP】 津島神社1500年の歴史を持つ神社。津島港は西行法師、鴨長明も書物に記しているくらい古くからある伊勢湾における尾張への玄関口でもあった。津島には十五家にも及ぶ土豪集団があり織田家とはたびたび争いとなった。1524(大永四)年夏織田軍は津島に放火し、11月になって津島は織田家の支配に入った。この十五家出身の服部小平太は桶狭間合戦で今川義元に一番槍をつけた。その後の美濃攻略戦でも津島出身者は活躍したという。 |
| 【探索のヒント】私が行ったのは平日の夕方だったので神社の駐車場が利用できました。お祭りのときは電車が無難でしょう。 |
| 【駐車場】専用駐車場 【最寄りの駅】名鉄尾西線「津島駅」 【最寄りのバス停】津島市ふれあいバスAコース「津島神社南」 |
@ A |
| D古渡城―名古屋市中区橘【MAP】 天文13年信長13歳の時この城で元服した。沢彦宗恩が信長の名を選んだという話もあるが確証はない。天文16年11月斎藤道三が西美濃の信秀の支城大垣城A(岐阜県大垣市郭町)を包囲した。同月17日救援に向った信秀は竹ヶ鼻に放火、さらに稲葉山城に近い茜部に向った。この動きに道三は一旦兵を引き上げている。しかし尾張国内では信秀が救援に向かった隙を突いて20日清須城坂井大膳が古渡城下に放火したため今度は信秀が慌てて兵を戻している。 |
| 【探索のヒント】東本願寺名古屋別院境内に石碑@があります。私は自転車で行ったのですが公共の駐車場に車を止めて「政秀寺」「万松寺」などを回るのはどうでしょう。 |
| 【駐車場】東別院専用駐車場(要許可)
周辺に有料駐車場 【最寄りの駅】名古屋市営地下鉄名城線「東別院駅」 |
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| E那古野城―名古屋市中区【MAP】 那古野城は今川氏豊の城だった。信秀もたびたび訪れて連歌などをしていた。ある時体調が優れないと家臣たちを城に入れて、夜半隙を狙って城内に放火、城を乗っ取ってしまった。ではあるときとはいつがだが、天文元(1532)年説と天文7(1538)年説がある。天文2年勝幡城で那古野城の今川竹王丸が招かれ山科言継らに蹴鞠の指導を受けている。また、那古野城近くの天王社と若宮八幡宮が戦火で焼失していたが天文8年に再建されたと言い伝えられている。この結果信秀が那古野城を手に入れたのは天文7年とするのが妥当であろう。すると信長の誕生はこの城ではないことになる。 |
| 【探索のヒント】名古屋城にの丸庭園付近に碑があります。国立病院側駐車場を利用すると二の丸庭園には早くいけます。 |
| 【駐車場】名古屋城周辺に有料駐車場 【最寄りの駅】名古屋市営地下鉄名城線「市役所駅」 【最寄りのバス停】名古屋市営バス栄13・27系「名古屋城正門前」 |
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| F末盛城―名古屋市千種区城山町【MAP】 名古屋市の東、東山丘陵の南端の標高43メートル地点に末盛城は築かれた。斎藤氏との講和により信秀は東の脅威今川義元に全力を注ぐことができるようになった。末盛城の北には弟信光の守山城、南は山口教継の鳴海城がありこれが対今川の防衛ラインであり拠点となる。 東西200メートル南北160メートルの平山城で現在の本殿前広場が本丸、西の昭和塾堂が二の丸だった。本丸の北には三日月堀があったが現在は残っていない。絵図面を見ると本丸と二の丸の周囲に堀が巡らされ、さらにその外側にも堀がある。また城域にはたくさんの畠があり堀にも田が作られていた。 |
| 【探索のヒント】2009年1月2日夕刻に行きました。県道30号関田名古屋線を守山区方面から南へ向い、「末森通2交差点」手前を左折、そのまま坂を登ると神社の駐車場へ到着です。かなり待たされるのを覚悟しましたがすぐに駐車できました。近くにコインパーキングもあります。以前平日に行きましたが車はほとんど停まっていませんでした。一の鳥居から本殿へ向かう女坂の両側、本殿の裏側に見事な空堀を見る事ができます。 |
| 【駐車場】城山八幡宮専用駐車場 【最寄りの駅】名古屋市営地下鉄東山線「覚王山駅」または「本山駅」 【最寄りのバス停】名古屋市営バス金山11・池下11・茶屋12系「末森通2」 |