桶狭間の戦い<静岡県編>
経過
永禄3(1560)年5月12日今川義元は本隊を率いて@駿府城を出発した。これに先立つ10日三河衆を中心とする先発隊が出陣していた。
この軍事行動は尾張にある今川の出城大高城鳴海城を救援することにあった。6年前知多半島の村木砦
織田信長に落とされているため、今回大高城鳴海城が落とされては義元の尾張併合が困難になってしまう恐れがあった。
国境を接する
武田信玄北条氏康と三国同盟を結んで後顧の憂いを絶ち、1年前より支度を始め信長より圧倒的に多い兵数で戦を仕掛けるのだから「勝つ」以外の結果は無かった。
しかし、後日談として家督争いに敗れて自刃した兄が義元の夢に現れて今回の戦は中止すべきといったとか、賤機山の白狐が胸を裂いて死んだとか、今川館の庭で女の声で負け戦を予言したとか、出陣当日義元が落馬したとか不吉な出来事があったといわれている。
13日前日藤枝に泊まった今川本隊は中遠州の中心の城A掛川城へ入った。14日B曳馬城で泊まる。  次(三河編)へ進む
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