桶狭間の戦い

-出陣-
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経過
永禄3(1560)年5月18日今川義元尾張国境①を越え、織田方の緊張は一気に高まった。その夕刻、鷲津砦織田信平丸根砦佐久間盛重から、19日早朝には今川の攻撃が始まると清須城織田信長に知らせが入った。信長はこれを無視するかのように、城に集まった家臣と雑談してその日を過ごした。
19日午前4時ごろ、早馬が清須城に駆け込んで来た。前日の情報通り、夜が明けきらぬうちから大高城今川勢丸根砦鷲津砦に攻撃を開始したという。これを聞いた信長は、軍支度をして単騎で城を出発した②信長のあとを追ったのは、小姓衆5人だけだった。突然の出陣に家臣たちは大慌てで、城下は出発する兵であふれかえり大混乱となった。
午前7時ごろ信長熱田神宮③に到着。しばらくすると必死に信長を追ってきた兵が続々と集まり、兵数は2百となった。
午前8時ごろ、戦勝祈願を終え、本殿から源太夫殿宮④へ進んだ信長がふと目を向けた南東の方角に煙が見えた。信長丸根鷲津の砦が落ちたことを悟った。信長は海岸線から丹下砦へ向かおうとしたが、満潮のため進めず、鎌倉街道を行くことにした。 次 接近へ進む
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