尾張統一戦<犬山城攻略>
経過
 
稲葉山城攻略を目指し、城下に攻め入ろうとした織田信長軍新加納美濃勢の反撃に遭い敗北した。信長は直接稲葉山城を攻めることを諦め、中美濃から切り崩していく作戦に切り替えた。信長はその拠点となる城を小牧山@に築くことにした。
1563年(永禄6)の小牧山城完成前、信長木曽川を挟んで美濃勢と連携している犬山城A攻めの先立ち支城の小口城B黒田城Cを攻めた。だが攻略できず小姓の岩室長門守を失い、生駒家長も負傷してしまった。これから美濃攻略戦に戦力を温存したい信長に調略を命じられた丹羽長秀小口城中島豊後守黒田城和田新助に働きかけ開城させた。
1565年(永禄8)信長は三方面から犬山城攻略を開始した。柴田勝家・佐久間信盛隊1千が小牧から楽田原五郎丸口へ、丹羽長秀隊1千5百が五条川沿いを北上、小口から高雄宮島堀砦へ進軍した。そして信長本隊宮後城Dから岩倉街道を通り犬山城下を目指した。その途中は犬山と美濃勢大道寺砦Eとその周辺に砦を構え街道を封鎖していた。信長は抜擢した遊佐河内守大道寺砦を攻めさせるFと共に、敵の砦に対抗して配備していた兵に大道寺以外の砦への攻撃命令を出した。瞬く間に信長軍は敵兵を駆逐して、その日のうちに犬山城から南西2キロの上野原に陣を張ることができた。翌朝柴田・佐久間・丹羽隊が犬山城へ攻め込んだ。4時間ほどの戦闘で信清は降伏、城兵共々善師野来栖方面へ落ちて行った。
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