信長狙撃事件

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経過
1570年(元亀元)4月30日午後11時、浅井長政の裏切りにあって命からがら越前から織田信長へ戻って来た。5日前、3万の大軍を率いて颯爽と出陣したのが、今はわずか10人程の者を従えての惨めな帰還だった。に戻った信長①守山城が一揆の攻撃を受けたという知らせが入った。これは城主稲葉良通らの働きによって撃退された。信長越前遠征失敗で反対勢力が勢いづく前に、一旦岐阜へ戻り態勢を立て直そうと考えた。
5月9日足利義昭に急変の時はすぐに戻ると伝え、湖西の境目宇佐山城森可成を入れて信長を出発した。12日②永原城に到着。佐久間信盛をここに残すと同時に、柴田勝家長光寺城中川重政安土砦に置いて、浅井長政南下に備えた防衛線の構築に時間を費やした。19日南近江の差配を終えた信長永原城を出発した。ところが鯰江城浅井長政の兵が詰めており、③市原郷では一揆が蜂起していると分かった。これで浅井領を通る東山道に続いて、伊勢を抜ける八風越④千草越での帰国が困難になった。その中で信長浅井軍との一戦を避け、一揆を沈めて千草越での帰国を決定した。
信長の命を受け⑤日野城蒲生賢秀⑥大森城布施藤九郎⑦甲津畑城速水甚六左衛門が一揆を説得し、信長はようやく帰国できる目処が立った。安堵する信長一行は、賢秀らの先導で山道を粛々と進んでいるその時だった。⑧山間に二発の銃声が鳴り響いた。その一発が信長の小袖を打ち抜いた。近習達は慌てて馬上の信長を囲んで人間の盾となり、すぐに狙撃手の探索が始まったが、既に逃げ去っていた。信長は何もなかったように出発を命じた。21日信長達は岐阜へ戻って来た。その後、狙撃手角義賢が雇った⑨杉谷善住坊と判り、徹底した捜索が行われた。そして3年後の元亀4年9月10日高島⑩阿弥陀寺に潜伏していた善住坊は、磯野員昌により発見、生け捕りにされ岐阜へ送られた。菅屋長頼・祝重正の尋問受けた後、善住坊は首から下を立った状態で埋められ、一週間かけて首を切る、鋸引きの刑に処せられた。
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