野洲川の戦い

群馬県
山梨県
長野県
富山県
石川県
福井県
静岡県
岐阜県
愛知県
三重県
滋賀県
京都府
奈良県
大阪府
和歌山県
兵庫県
岡山県
鳥取県
下天夢紀行TOP
経過
1570年(元亀元)4月織田信長朝倉義景討伐は、浅井長政の離反により失敗。信長の評判は失墜した。これに乗じて南近江での復権を目指す六角義賢・六角義弼父子は、親六角勢力を動員して信長を討とうとした。しかし信長虎口を脱し、帰国に成功する。信長岐阜へ戻った5月22日石部城へ入った六角父子は、早速失地回復のため動き出す。
義賢に味方する一揆勢は野洲川右岸の落窪①に集結し、六角軍甲賀衆信長寝返った国人衆②を攻撃し始めた。これに対し長光寺城③柴田勝家永原城佐久間信盛は、落窪へ向け出兵した。柴田佐久間軍野洲川右岸に出て来たことを知った義賢は、全軍を対岸の笠原④へ移動させた。
6月4日柴田佐久間が一揆勢への攻撃と渡河の気配を見せると、六角軍野洲川を渡り始めた。ここに両軍入り乱れての戦いが始まった。柴田佐久間軍は、六角軍と一揆勢を同時に攻めることになったが、苦戦を強いられることもなく、数時間で六角軍を敗走に追いやった。この戦いで有力武将を多数失った⑤六角氏は、一揆に衰退の道をたどることになる。
SEO [PR] @[r ďAEx@o^C ^T[o[ SEO