@男山八幡宮―京都府八幡市【MAP】
前年(1576)5月、根来寺杉の坊と雑賀の三緘衆が雑賀討伐に協力することを知らせてきた。安土発った信長は妙覚寺で軍勢が揃うのを待って5日過ごした。2月13日京都を出た信長はまず岩清水八幡宮で戦勝祈願した。
石清水八幡宮は清和源氏・村上源氏など源氏の氏神として崇められた。源頼信・頼義父子の一門は武運長久・家門繁栄を祈願し、義家はここで元服、「八幡太郎」と名乗った。このように足利・徳川将軍家、織田・豊臣など武家から特に敬われていた。
【探索のヒント】八幡駅からケーブルカーにのればすぐです。市営駐車場が近くにあるのでそこを利用しましょう。また石清水八幡宮の駐車場も山頂にあります。
【駐車場】市営駐車場 【最寄の駅】京阪電車「八幡市」
 
A神於寺―岸和田市神於町【MAP】
香庄は現在の神於町。その地にある古刹寺。幾度となく戦火に合いさらに明治の廃仏毀釈によって廃された。信長は雑賀衆と和睦後3月21日再びここで滞在。
【探索のヒント】バス通りに神於神社の標識があって山に向かって進むと境内のそばまで車で行けます。境内からさらに神於山へ向かう道があります。私は北側の山道を展望台まで登りましたがこんな山には陣張らないと思いこちらにやってきました。
【駐車場】駐車スペースあり 【最寄のバス停】南海バス葛城線「神於」
 

B貝塚御坊―貝塚市中(願泉寺)【MAP】
天文14年根来寺の卜半斎珍が無住の草庵に招かれ一向宗の町づくりが始まる。天正11年から2年間鷺の森から顕如を迎え本願寺の御堂となる。なお願泉寺の名は慶長12(1607)年准如によって名づけられた。梵鐘は鎌倉期のものである。(貝塚市教育委員会の説明文より)
【探索のヒント】車で行きました。私は路駐してこの付近を歩き回りました。寺内町なので寺がたくさんあり裏道に入ると静かなたたずまいのところでした。
【駐車場】なし 【最寄の駅】南海本線「貝塚駅」
 
@A
B
C佐野砦―泉佐野市春日町・旭町
Bは鎌倉時代の最後にあった佐野屋敷の跡地である。信長の佐野城とは関係ない。「歴史館いずみさの」の学芸員Tさんは個人的なご意見として@の地形から砦跡らしいと見ておられます。実際に見てみると納得しました。3月22日砦を築いて羽柴秀吉、佐久間信盛に守らせる。
【探索のヒント】かなり歩き回らないといけないと思っていたので旧26号線沿いの100円パーキングに車を停めました。推定佐野砦は紀州街道にある春日神社の横を流れる小さな川(円田川)のが曲がっているあたりです。佐野城は南海本線の踏み切り付近で鎌倉時代の遺構が見つかっています。
◎春日町【MAP】 ◎朝日町【MAP】
【駐車場】コインパーキング 【最寄の駅】南海本線「泉佐野」
 
D信長街道と根来街道の分岐点―泉南市樽井【MAP】
馬場」「男里」を通って阪南市に入り「黒田」「鳥取」そして波太神社へつながる。左が根来街道。風吹峠を通って根来へ出る。ここは信達という地名ではないがここから信長街道が始まることを考えるとこの付近で軍を二手に分けたのかもしれない。
【探索のヒント】付近に図書館があるので車はそこへ停めました。
【駐車場】なし 【最寄の駅】南海本線「樽井」 JR阪和線「和泉砂川」
【最寄のバス停】南海バス「樽井東」
 
@
A
B
E信長街道@と首無地蔵AB―泉南市〜阪南市鳥取〜石田【MAP】
雑賀攻めのときに信長が通ったとされるので信長街道という。この先に本陣を置いた若宮(波太)八幡宮がある。街道の途中の右手の小高い丘にあるのが首無地蔵。秀吉が根来攻めのときに斬った僧侶を供養している。ところで山手がどのルートを使って和歌山に入ったかはわかっていない。根来衆が道案内したということから根来街道を使ったとする意見もあるが信長街道を進むと熊野街道に出ることから和歌山県立博物館ではこのルートを採っている。
【探索のヒント】旧26号線を「鳥取」の交差点で左折します。私はオークワの駐車場に車を停めて自転車でここまで来ました。車を停めるスペースは無かったと思うので波太神社の駐車場を利用してはどうでしょう。でも歩かないといけません。
【駐車場】なし 
   
F波太大社―大阪府阪南市石田【MAP】
「信長公記」にある若宮八幡宮。名前の由来は昔桑畑地区に祀られていたものをここへ移したことから「畑」から「波太」へ転じたと言われる。この地方の豪族鳥取氏の祖神角凝命と八幡神を祀る。創建時期は不明だが10世紀初めにはすでに存在していた。正面の石燈籠は片桐且元が寄進したと伝えられる。(ライオンズクラブ解説文より)
【探索のヒント】ここには2回目です。前はかなり苦戦しました。境内には駐車場があるので車でも大丈夫です。
【駐車場】専用駐車場 【最寄のバス停】南海バス「波太神社前」
   
浜手軍
G淡輪城―岬町【MAP】
1500uを領有する淡輪氏の屋敷跡。雑賀攻めに際し信長に味方した。のち秀吉が天下を取ると当主良重は娘の「こよ」を秀次の側室に出している。淡輪氏についてはここへ
【探索のヒント】ここは細い通だらけなので車で行くのは気を使いました。淡輪駅から海へ向かう最初の信号を左折してずっと直進します。すると左手に空き地がありそこが淡輪屋敷になってます。
【駐車場】なし 【最寄の駅】南海本線「淡輪」
   
H孝子峠―大阪府・和歌山県【MAP】
一向宗徒・雑賀衆は織田軍をこの付近で食い止めようとしたがあまりの多さにすぐに退散してしまい織田軍は悠々と紀州に入っていった。
【探索のヒント】この写真を撮るために和歌山寄りの所の路側帯に車を停めてトラックや車がバンバン通る道を登っていきました。

 

 

 

 

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