浜手
@中野城―和歌山志木市中野【MAP】
中野辺りは今より広く深い水路がひらけ、紀ノ川から大きな川船が航行できた。中野城は川を利用して戦略物資などを輸送するのに大変便利なところであった。泉州方面からの侵入者や情報をコントロールできる位置にあり、雑賀党の前線基地であった。この塀の石垣が当時のもので周囲より少し高くなっているのが城の土台を表しています。
【探索のヒント】巨大ショッピングセンター「パームシティ」の裏手にあります。駐車場に車を停めてかなり歩き回りました。周囲の畑の畦道を歩き犬にほえられ再び駐車場に戻り建物の北側に写真で見た塀を見たときは思わず声を上げそうになりました。
【駐車場】パームシティ駐車場 
 
AB
A平井政所―和歌山市平井
「信長公記」には鈴木孫一の居城攻めを滝川・明智・丹羽・蜂屋・細川・筒井および若狭衆らへ命じ、雑賀の鉄砲攻撃を防ぐために竹束を装備し、井楼を上げて昼夜問わずここへ猛攻撃を行ったとある。しかし「紀伊続風土記」だと平井の政所の坪には孫一の「館」があったと書いているだけである。雑賀衆が「十ヶ郷」「雑賀」「社家(宮)郷」「中郷」「南郷」の土豪の共同体で成り立っていたことを考えるとここだけに巨大な城郭があったとは考えにくい。それでも激しい戦闘があったことは織田軍の雑賀攻めに対する決意が並々ならぬものであったと感じられる。
平井には鈴木孫一に縁のある
蓮乗寺Aがある。先に挙げた「紀伊続風土記」には孫一が己の守本尊を安置したことから「孫一道場」とも呼ばれたとしているが、蓮乗寺の由来書には天正10年にあった信長の鷺の森合戦のとき鈴木孫市郎義兼が身につけていた阿弥陀如来本尊のおかげで負傷したものの命に関わらなかったとしてこの阿弥陀如来像を「守本尊」として安置したのがこのお寺の始まりとしている。また「鷺の森合戦」で孫一が血で汚れた槍を洗った手水鉢Bが専光寺にある。
孫一に関して詳しく知りたい方は
ここへまたはこちらへ
【探索のヒント】平井に適当な駐車場がなかったのでバス通りから外れた所に路駐しました。専光寺の近くに鷺の森別院があるので城北公園の地下駐車場に車を停めて両方を見に行ってはどうでしょうか。
◎平井政所:【MAP】 ◎蓮乗寺:【MAP】
【駐車場】なし 【最寄バス停】和歌山バス84系統六十谷線「平井」
◎専光寺:
【MAP】
【駐車場】城北公園地下駐車場 【最寄バス停】和歌山バ「宇治」
 
山手


B根来寺―和歌山県岩出町【MAP】
興教大師が開祖。新義真言宗の寺。近畿における勢力拡大を狙った根来寺杉の坊照算は信長に協力したほうが得と判断して協力を申し出た。根来寺は単なる寺ではなく発掘により城郭を窺わせる石垣も見つかっている。根来衆についてはこちら
根来寺は泉州や紀州の有力者によって建立された子院をいくつも持っていたがそのひとつ杉之坊は種子島から鉄砲を伝えた津田算長の弟明算が院主であった。今回の戦いでは算長の子供監物算正が信長の命で佐野砦を守った。根来寺には雑賀衆の土橋氏によって建てられた泉識坊もあった。雑賀衆は大坂本願寺の傭兵として戦ったことから浄土真宗徒と思われがちだが紀州での根来寺の力も侮りがたいものだったため、お家安泰を狙って二股をかけていたものも多くいた。
【探索のヒント】観光地である根来寺には当然駐車場はございます。そちらにお停めになってゆっくりと根来寺を堪能ください。
【駐車場】専用駐車場 【最寄のバス停】和歌山バス那賀「根来」
 
@A
C風吹峠(左)と山中渓(右)
山手を進んだ織田軍のルートは確定されていない。根来衆の道案内を受けたので根来街道@をとったという説と最短距離で紀州に入れる熊野古道説がある。和歌山市立博物館の資料では山中渓Aを通る雄ノ山峠を越えてと書いてある。
【探索のヒント】どちらもトラックの往来が激しく車を停めるとこを探すのに難儀しました。とりあえず広い路側帯があったので停めてトラックが真横を通る道をとぼとぼ歩きました。
◎風吹峠:【MAP】 ◎山中渓:【MAP】 【駐車場】なし
 
@A
B
D田井ノ瀬―和歌山市【MAP】
紀ノ川にある中洲が田井ノ瀬。和泉山脈を越えてきた織田軍の目前に広がる紀ノ川を渡るにはここが一番川幅が狭い。今は中州は緑地化されて畑が広がる。
【探索のヒント】大阪方面から紀の川に沿った道を行くと北田井ノ瀬橋@があって中州Aに渡れます。中州には駐車場があってそこに車を停めればこの付近の探索はゆっくりできます。中州から対岸の和歌山市内にけてかかっているのが南田井の瀬橋Bです。中州は雑草が多く私は散策後目が痒くて痒くて真っ赤になりました。アレルギーのある方はマスクにゴーグルを。
【駐車場】中州に駐車場 
【最寄のバス停】和歌山バス那賀「中州」 【最寄の駅】JR和歌山線「田井ノ瀬」駅
 
E大田城―和歌山市大田【MAP】
現在の来迎寺付近。太田党の根城で太田左近宗正を中心に武士団を形成。雑賀衆の鈴木孫一とはもともと仲が悪かったようで今回の雑賀攻めには信長に協力した可能性がある。この年の2月に信長が大田村に禁制を下している記録(太田文書)もある。天正13年の秀吉の雑賀攻めでは今回反雑賀だった根来衆と共に雑賀衆に協力したことで攻撃の的となり宗正は降伏後殺害される。
宮郷にある大田だが浄土真宗に帰依するものもいて郷中分裂し、彼らはここから退去した。この人々を「大田退衆」とよんで顕如は激励の書状を出している。しかしこの「大田退衆」とは秀吉の大田城攻めの際、城から退去したものを指すとの説もある。このようなことは他の郷でも起こっており、それだけ雑賀衆それぞれが独立した存在だったことがわかる。
【探索のヒント】メインの通りから中に入った所です。道幅は狭いのですがお寺の前に路駐するスペースはあります。
【駐車場】なし 【最寄の駅】JR「和歌山」駅
 
@A
B
C
F雑賀川―和歌山市小雑賀
織田軍襲来の情報に雑賀衆はこの川の水をせきとめ、川底に壷を埋めたり縄を張り巡らせたあと再び水を流し込んだ。小雑賀に展開した織田軍の中から堀秀政隊が先陣を切って川に入った。しかし事前に川底に仕掛けておいた壷や縄に馬の足が取られて身動きが取れなくなり、もたもたしているうちに砦から鉄砲を撃ちかけられ、多くの死傷者を出してしまった。これを見ていた稲葉一鉄・貞道父子、氏家左京亮、飯沼勘平らはもはや川を渡ろうとはしなかった。そのため両軍とも川を挟んで睨み合うだけとなった。
@Aは現在の和歌川。全長7.7キロ和歌山城下と和歌の浦を結ぶ。古代、ここが紀ノ川だった。聖武天皇もここを下って玉津島に行幸したという。この戦いの頃川幅が広くて雑賀の砦のそばまであった。Bは和歌川口にある玉津島神社前から紀三井寺方面を見たもの。ここにも砦があったといわれる。一方紀三井寺から雑賀崎、雑賀城(白いビルの後ろの右の山)を見たのがC当時はもっと見晴らしがよかったであろうが織田軍にとっては目と鼻の先にいる敵に手が出せなかったのは歯がゆかったと思う。
【探索のヒント】川に沿った道は細いですがよく車が通るので駐車は無理です。この付近の探索には絶対秋葉山公園の駐車場をお勧めします。紀三井寺や玉津神社は観光地なので専用駐車場があります。
◎小雑賀:【MAP】 
【駐車場】秋葉山公園駐車場 【最寄のバス停】和歌山バス紀三井寺線「南小雑賀」
◎玉津神社:
【MAP】
【最寄のバス停】和歌山バス本町線・塩屋線「玉津神社前」
◎紀三井寺:
【MAP】
【駐車場】紀三井寺専用駐車場 【最寄のバス停】和歌山バス紀三井寺線「紀三井寺」
【最寄駅】JR[紀三井寺」駅
 
@A
B
H-1中津城―和歌山市中之島
現在の紀和駅@Aからその南の西覚寺B付近。雑賀庄の北の要衝。雑賀権太夫が城主。北は紀ノ川が流れ織田軍も容易には攻めかかることができなかった。ここから南に向かって延々と砦を築いて織田軍の攻撃に備えた。 後にここも織田軍に攻め落とされたとも言われる。
【探索のヒント】西覚寺の前はとても狭いので車では無理です。ここは2度訪れたのですが一度目はパーキングに車を停めてゆっくり探索しました。二度目は写真左の風景を撮るために行ったのですが短時間だったので駅前に路駐しました。駅前はかなり広くなっています。手前の建物が駅舎でその少し向こうの赤い屋根が西覚寺です。 
◎紀和駅:【MAP】 ◎西覚寺:【MAP】
【駐車場】なし 【最寄駅】JR紀勢本線「紀和駅」
 
H-2吹上城―和歌山市一番町【MAP】
この付近は和歌山市の中心部で一番高い標高約40メートルの地点。吹上城の跡に和歌山城が建てられたとも言われる。土橋平左衛門が守る。
【探索のヒント】和歌山城の駐車場に停めるのがベストでしょうが私は岡公園の横に停めました。私の祖母がこの近くに住んでいたので小学生の頃よく遊びに来ました。
【駐車場】専用駐車場
 
H-3宇津砦【MAP】
 
 
 
H-4東善寺山砦ー和歌山市東高松・打越町【MAP】
標高45.3メートル。弥勒寺山砦の北にある。実はここが砦跡という確証はない。「紀伊国名所図会」に載っていることから郷土史家の水島大二氏が推定している。
【探索のヒント】山の登り口の横に車を停めました。細い道でしたがあとりあえず停めれました。でも秋葉山公園駐車場をお勧めします。砦とは断定されていないと市立博物館の学芸員の方は言っておられました。頂上へ行くまでに意識的なのか見晴台のようなものがあります。山頂は周囲が木が茂っていて下界は見にくいですがきっと見晴らしはいいと思います。
【駐車場】なし 【最寄バス停】和歌山バス本町線・市内雑賀ア循環線「高松」
 
@A
B
C
D
E
H-5弥勒寺山砦―和歌山市秋葉町
標高74メートルの現秋葉山公園@。天文19(1550)年証如は黒江(海南市)から本願寺の紀州での本拠を弥勒寺に移し永禄6(1563)年までここで布教した。なお天文23年39歳で証如は死去、当時12歳の顕如が11代宗主となる。弥勒寺山(秋葉公園)には顕如上人の碑Dがあるが雑賀攻め当時は大坂本願寺ににいるのでここでは戦っていない。雑賀衆の本拠、雑賀城は1キロ弱の地点にあり目視できるC。その向こうは新和歌浦湾。
矢の宮神社―和歌山市関戸E
賀茂建津之身命吉井駒神を祀る。建津身命は別名八咫烏命という。建津身命は矢田姓の祖神魂命の孫であるためその社は矢の宮と名付けられた。
3月3日いよいよ織田軍が干潮を待って雑賀川を渡って来るという話が雑賀庄の民衆の間に広まった。比叡山の焼き討ちや越前、長島の一向一揆殲滅を知っている雑賀の人々は恐れおののき神の助けを乞うた。そして明けて3日。川の水位は下がらず織田軍は川を渡ることができず雑賀衆は九死に一生を得た。このとき鈴木(雑賀)孫一が喜び神に感謝して踊ったのが今に伝わる「孫一踊り」の起源とされている。
【探索のヒント】車での行動なら秋葉公園の駐車場に車を停めてください。駐車場の入り口には洋菓子店があります。入り口はここだけなので見落とさないようにしましょう。弥勒寺山は近所の人のウォーキングに利用されています。山頂は木が生い茂っていて和歌川側の視界は遮られています。公園になっていますが石垣の跡A土塁Bが残っているのでゆっくりと散策しましょう。矢の宮神社へは私は車で行きましたが歩きでも十分です。
◎弥勒寺山砦:【MAP】 ◎矢の宮神社:【MAP】
【駐車場】専用駐車場 
【最寄バス停】和歌山バス本町線・市内雑賀ア循環線「秋葉山」
 
@A
B
C
D
H-6雑賀城―和歌山市和歌浦中【MAP】
雑賀党の本拠地。城は妙見山@という小高い山に作られた。雑賀の砦は外敵に対する防御拠点なので見晴らしのよい高台が選ばれている。さらに敵は和歌川側からしかやってこないので東への防御を固めればよかった。
【探索のヒント】二度行きました。場所は消防署の隣の公園の後ろの小山です。すべての砦は山を利用しているので上り坂Bは急でした。山上には妙見堂Cがあります。非常に狭い所です。周囲は木で覆われていて見えるのは新和歌浦Dぐらいです。山の上にある塔のような物は今は使われていない火の見櫓Aです。そばまで行くと怖かったです。
【駐車場】なし 【最寄バス停】和歌山バス本町線・市内雑賀ア循環線「和歌浦」
 
@A
H-7雑賀崎―和歌山市雑賀崎【MAP】
雑賀崎城があったとされるが遺構は確認されていない。雑賀崎小学校のある場所に城を連想させる地名があったと学校紹介に記されているがその事実はない。ただ考えられるのが雑賀崎灯台@の下に本願寺を退去した教如が隠れていた上人窟(現在崩壊の恐れがあるので見学は禁止)があること、江戸時代異国船に対する警戒のための番所Aがあったことから雑賀衆のそれなりの防御拠点があったと考えられたのではないかと和歌山市立博物館の学芸員の方はおっしゃっていた。
【探索のヒント】雑賀崎に行っても特別何もないので行くほどのことがあったのでしょうか。なお、雑賀崎灯台の駐車場は土・日だけ有料で平日は無料です。
【駐車場】専用駐車場 【最寄バス停】和歌山バス市内雑賀ア循環線「雑賀崎遊園」
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