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@台ヶ原―北杜市白州町台ヶ原
雨の中を台が原までやって来た信長は滝川一益に陣所と信長一行数百人が滞在できるように小屋の普請を命じた。陣中にもかかわらずご馳走が用意された。そこへ北条氏政から500羽の雉がもたらされた。他に東国の珍しい物がもたらされると菅屋長頼、矢部家定、福富秀勝、長谷川可竹、堀秀政に奉行を命じ馬廻衆にそれらを分け与えた。

台ヶ原宿@といえば甲州街道の40番目の宿場だが甲州街道が成立したのは1610年のことである。しかしそれ以前から下諏訪から韮崎方面へ向かう街道は存在し当然旅装を解く宿場は存在していた。その一つが台ヶ原宿である。上諏訪・甲府どちらからも約30キロの地点にある。
【探索のヒント】国道20号線が甲州街道とされていますが旧道はその北の平行に走っている道です。道の両側に旅館がありますが中山道のように観光化されていないので本当に宿場かなと思ってしまいました。ここで目に付いたのが創業250年の「山梨醸造」Aと銘菓信玄餅の「金精軒」Bです。私はお酒は飲まないので「金精軒」でお土産を買いました。商品を注文してから詰め合わせてくれるのでちょっと時間がかかりますが自分だけのお菓子みたいで満足しました。それと宿場にはよくある本陣跡Cもあります。時間の都合でさっさと立ち去りましたがこのさらに北側にも石碑があります。
【駐車場】山梨醸造にあり 【最寄のバス停】山梨交通「台ヶ原中」 【MAP】
 
@A
A花水坂―白杜市長坂町日野【MAP】
翌日台ヶ原を出た信長は甲州街道を少しそれた花水坂に登った。ここではじめて富士山を見ることになる。このあと甲州街道が釜無川の氾濫で通行できないときに利用された原道を通って韮崎へ向かった。この花水坂では天文年間小笠原・諏訪勢が甲斐に攻め込んだとき武田軍が迎え撃ったことがあった。花水坂の由来は川を挟んだ向かいの寺に咲く桜の花が川面に映ったことから名づけられたとも言われている。さらに花水坂は御坂峠・西行坂と並んで「富士見三景」の一つに数えられている。
【探索のヒント】国道20号線「台ヶ原下交差点」から900メートル南東に向かうと作動していない信号(06.10.17現在)があります。これを左折、道なりに進むと左手に碑@があります。道幅が広いので路駐しました。残念ながらここから富士山は見えませんAがここをさらに登っていくと見える可能性があります。この道はJR中央本線「長坂」駅の南で県道17号茅野韮崎小淵沢線に合流します。この道は新府城の横を通って韮崎で再び国道20号線に合流します。
【駐車場】なし 【最寄のバス停】山梨交通「花水坂」 【最寄の駅】中央本線「長坂」
 
@A
B
C
B恵林寺―甲州市塩山小屋敷2280【MAP】
織田軍の進撃は早く信忠は岐阜を出発して3週間で信濃・甲斐を平定、甲府へ本陣を構えた。甲府には南近江から逃げてきた六角義治が信玄によって匿われていた。織田軍が甲府へ入る前に義治は恵林寺に逃げ込んだ。織田軍による武田残党狩りが進む中、義治が恵林寺に隠れているのが判明した。信忠は恵林寺快川国師に義治の身柄引渡しを要求したが快川和尚は密かに義治を逃がしてしまった。これに激怒した信忠は織田九郎次郎元嘉、長谷川与次郎、関十郎右衛門、赤座長兼を奉行にたて恵林寺の焼き討ちを敢行した。寺に居た者すべてが山門の上に登らされた。やがて山門には草が積まれ、火が放たれた。初めは燻っていた火が一気に燃え上がると山門にいた人々はその熱さと恐ろしさに悲鳴をあげながら焼け死んでいった。燃え盛る炎の中で快川国師は微動だにせず「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」と唱えながら死んでいった。快川国師のほか宝泉寺の雪岑長老、東光寺の藍田長老、高山長善寺の長老、大覚和尚長老、長円寺長老ら11人の高僧がこのとき命を落した。この焼き討ちの使者は150余人にのぼった。
1330年夢窓国師によって開かれた恵林寺は甲斐における臨済宗の中心となる。応仁の乱で荒廃したが武田氏の菩提寺に定められて復興する。永禄7年信玄は寺領を寄進し岐阜崇福寺から快川紹喜を招く。天正4年の信玄の葬儀は快川紹喜が大導師となって執り行なわれた。快川紹喜の俗姓は土岐氏である。このことから同族であった光秀が恵林寺での信長の非道を糾弾するために本能寺の変を起こしたという珍説もある。
【探索のヒント】塩山の観光地のひとつですから駐車場完備です。恵林寺の西にある「信玄館」(食事・お土産)の駐車場も利用できます。現在山門@があるところで虐殺が行われました。その脇にはこのとき犠牲になった人々の遺骨が埋葬されている墓Bがあります。山門をくぐって正面にあるのが開山堂Aです。夢窓国師、快川国師、末宗和尚の像が安置されています。末宗和尚は恵林寺が織田軍に囲まれたとき快川国師の言葉に従い寺を脱出、那須雲巖寺に身を潜めていた。その後家康に命じられて寺の再興に尽力したそうです。武田家の菩提寺ということで信玄の墓、武田家に縁のある人たちの慰霊碑Cがあります。私が行った時も平日にかかわらず観光客が多くいたのですが「信玄宝物館」には誰もいませんでした。たっぷり時間をかけて見たのですが結局誰も来ませんでした。なんともったいない。是非行ってください。私が以前ここへ来たのが1988年8月。NHKで「武田信玄」を放送している真っ最中でした。今回感慨深く境内を回りました。家に帰ってから「武田信玄」のVTRを引っ張り出して見ています。
【駐車場】専用駐車場他 【最寄のバス停】山梨交通「恵林寺前」
 
@A
Bその他焼き討ちにあった寺院
織田軍団行くところ神社仏閣の焼き討ちあり。ご多分に漏れず甲斐でも焼かれている。
真言宗放光寺@(甲州市塩山藤木2438)。武田家の祈願所。新羅三郎義光の孫安田義定が開祖。義定は源平の富士川の戦いで武功があった。三方ヶ原の戦いで得た遠州鎌田山医王寺に伝わる南北時代の写経大般若経六百巻が奉納された。
日蓮宗立正寺A(山梨県甲州市勝沼町休息1713)。もとは奈良仏教三論宗子安山地蔵寺といっていたが真言宗に変わり金剛山胎蔵寺となった。ある時勝沼に宿をとっていた日蓮が門前で「立正安国論」を説いていたので住職の宥範と法論を交わすことになった。その結果宥範は日蓮に心服し日蓮宗に宗旨を変え、日蓮が勝沼の宿で休息していたこと、立正安国論の感銘したことから休息山立正寺と名を変えた。
【探索のヒント】武田氏の史跡へ行ったついでに寄った程度です。放光寺は恵林寺の北にあります。恵林寺の西側を走る県道38号塩山勝沼線と国道140号線が交わる「新隼橋交差点」の東側にあります。駐車場は交差点から東に入ってすぐ左に曲がるとあります。立正寺の目標は国道411号大菩薩ライン「葡萄工房ワインガラス館」です。この西側に立正寺はあります。
放光寺:【駐車場】専用駐車場 【最寄のバス停】山梨交通「放光寺入口」【MAP】
立正寺:【駐車場】専用駐車場 【最寄のバス停】勝沼町民バス「子安橋北」
【MAP】

 

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