足利義昭追放<和歌山県編> 
経過
元亀4年7月下旬若江城へ入った足利義昭11月5日へ移り9日和歌山へ向け出向した。その後現在の和歌山市内に@館を建て住んでいた。やがてそこを離れ由良のA興国寺に身を寄せている。義昭が紀南に身を寄せていたのはこの辺りの土豪である湯川氏を頼ってのことである。湯川氏は南北朝の頃から北朝の足利氏に仕えていたからである。義昭は近くのB道成寺から「道成寺縁起絵巻」を取り寄せて奥書を加え、また「日本無双の縁起」と称賛して刀一腰・馬一疋を道成寺に贈った記録が残っているが義昭が興国寺にいたのはほんのわずかで次に湯川氏発祥時の本拠C泊城に移っている。ここで地侍の玉置氏を動かすべく大好きな書状を出しているが玉置氏は動かなかった。この地でもいろいろ策謀をめぐらしていたがもはやこれまでと判断、毛利氏を頼ってD鞆の浦へ向かった。
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