若江城の戦い 
経過
織田信長浅井長政軍と対峙する北近江と湖西の織田軍を検分したあとの元亀3(1572)年3月12日京都妙覚寺に7百の兵を連れ入った。信長は上洛の時は寺に宿泊していたが足利義昭から度々京屋敷を持つよう求められていた。丁度上京@武者小路に廃寺跡があったので信長はここへ京屋敷を建てようと考えた。この報告を受けた義昭信長に代わって自分が建設することを申し入れ、畿内から人夫が集められた。
信長の上洛目的の一つは一昨年大坂本願寺蜂起に呼応して信長から離れた松永久秀久通父子を牽制すためであった。4月4日片岡城片岡弥太郎4月14日織田軍が河内から大和へ出陣するので参陣するよう要請があった。4月16日織田軍が京を出陣した日、久秀が河内守護畠山昭高の重臣安見新七郎A私部城を囲んだ。この戦いは織田軍の救援により松永軍が引き上げ、それを追って織田軍が5月9日多聞山城を包囲すると松永父子が降伏することで決着した。
翌天正元年
武田信玄の死、義昭追放をきっかけに信長は山城、河内を平定するために積極的に動いた。11月10日京都へ入った信長義昭を匿った咎で三好義継B若江城を攻めた。昨年は反信長だった松永久秀が城内の勢力と謀って義継を自刃に追い込んだ。
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