上洛戦<大阪府・兵庫県編> 
経過
 
三好三人衆(三好政康・三好長逸・石成友通)松永久秀に擁立され永禄11年(1568)2月に14代将軍に就いた足利義栄破竹の勢いで上洛軍が京に迫っているのを知ると@普門寺城に逃げるがそこで義栄は死んでしまう。京周辺の三好勢を駆逐した上洛軍は更に畿内における三好勢の影響力を断つために摂津に入った。
9月30日織田信長足利義昭A天神馬場に陣取り柴田勝家らが率いる先陣はA天神山からB芥川山城攻撃に備えたがこの日の夜織田軍に包囲された芥川山城は降伏する。それを知ったC越水城D滝山城を指揮する篠原長房は逃亡した。芥川山城信長義昭が入ってまだ抵抗するE池田城池田勝正を攻撃する算段をしている間に上洛軍の先陣は池田城に迫った。これにF伊丹城は抵抗をやめた。
10月2日には信長自身もG出陣して上洛軍は池田城を包囲したが城の抵抗は激しく織田軍も負傷者が続出した。この膠着状況に信長は池田城下に火をかけ、焼き払うと孤立した池田城ではもはや抵抗もここまでと降伏を申し出た。池田城開城で摂津・河内のH三好方の城も降伏した。こうして畿内の安定を確認すると信長10月14日義昭に続いて京へ戻ってきた。
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